はい、今回はFF10の思い出について語りたいと思います。もはや語るまでもないくらい超名作ゲームで、おそらく激戦を極めたPS2時代においても、いやその後に続くPS3時代を含めてもトップレベルの完成度を誇るRPGですね。
いったい何回リマスターされたんですかね。そしてリマスターされるたびにちゃんと売れる作品なので、世界的にも人気の高さが見て取れます。じゃあ何が世界のみんなの、いや僕の心を打ったのかというのを出来るだけ当時の感動を思い出しながら分析していきたいと思います。
圧巻の導入部分とグラフィック
まず、このゲーム開始して数分後ですね。度肝抜かされました。グラフィックが綺麗すぎる。最初ティーダが暗いところで水に浸かっていて、そこから光がグワっと広がって、ブリッツボールのスタジアムに水がぶわーってなって、なんか水と光の表現が綺麗すぎるって。シンが街中壊すシーンも細かすぎるって。PSからPS2になってこれほどパワーアップするのかと本当に驚愕でした。
そこからアーロンと合流して、シンのコケラ倒して、シンに飲み込まれるシーンもマジでヤバいやん。もういきなりヤバいやん、、。なにこれ、めっちゃ面白いやんー!!って終始興奮してました。もう冒頭のシーンだけでも何回も観たくらいに好きなシーンでした。
とにかくいい意味で状況に追いつけないし、シンの破壊力エグイし、というか吸い込まれたし、これはどういう物語になるんだというワクワク感が凝縮された素晴らしいオープニングでした。だいたいのオープニングって舞台背景とか主人公が戦う理由みたいなところから始まるケースが多いんですが、とりあえず訳の分からないものに襲われて、訳の分からないところに飛ばされてこれからどうなるんだろう、という主人公の心境とプレイヤーの心境がリンクして、あの導入は本当に素晴らしかったです。
キャラクターの心情変化がアツい
ふたつめは物語の完成度です。FF10のストーリーってめちゃくちゃ簡単に言うと、シンという化け物を倒すための旅をするという感じですね。その中で主人公の心境の変化、ユウナと仲間の覚悟、キマリとアーロンの過去、シーモアのガチキモムーブ(度重なるセクハラとストーキング行為)、とにかくひとつの作品にいろんな要素がふんだんに散りばめられていた素晴らしいストーリーでした。
全体を通してのテーマは、成長というのがあったかなと思います。特に顕著だったのはワッカでしょうか。いい兄貴分キャラとして登場したのですが、一方でエボンの教えに厳しくて、それに反する機械と機械を使うアルベド族のことを毛嫌いしていたのですが、途中から少しずつ認めることが出来るようになりました。
世界の成り立ちを知って、というのもありますが、ぶっちゃけ弟のチャップが死んだことに対してやり場のない怒りを機械というものにぶつけないと心が持たなかったのだと思います。ルールーもきっとそうですよね。ルールーは強い女性というイメージがありますが、ずっと心の中で「本当にこれで良いのか?」という悩みを抱えながら旅をしていたはずです。そこはキマリもそうですね。
で種族も立場も違う人同士がユウナと世界と救いたいという気もちの中をもって行動して、混ざり合って、それぞれの課題を乗り越えていくという王道的な熱い展開が素晴らしかったです。
で、旅をしていくとティーダのノリと周りのテンションの食い違いにひっかかるシーンがちょこちょこ増えてくるんですね。そんな中で例のアルベド本部のイベントがありましたね。「知らなかったの、俺だけかよイベント」ですね。あれは当時中学生だったゴリラ君はガチ泣きしました。その頃には当たり前のようにユウナが好きになったいたので、で、ティーダのことも好きになっていたのでこんな悲しいことがあるかよ!っていう悔しさと、知らなかったことへの情けなさとで、ティーダとほぼ同じテンションで悔し泣きした記憶があります。(マジで親が来なくて良かったです)
で、そこからシンを倒して、ユウナも助けるという実現不可能なチャレンジに挑んでいくんですが、その時に言ったティーダのセリフがめちゃくちゃ好きで覚えてます。そんなこと出来っこないってみんなが攻めるんですよ。冷静になれと。ひとつも実現できなければ最悪やんかと。そんなガキみたいな青臭いこと言うなと。でもティーダは言うんですね。「オレ、この青さは忘れない」って。これ今でも割と心に刻まれていて、本当にやりたいことがあるのであればそれを邪魔する障害や制約は気にしなくて良いっていうそんな後押しをしてくれている気がするんですね。
特にずっとスピラで生きてきた人たちにとってはそれが当たり前となっていた理不尽があって、外からやってきたティーダこそがそこに立ち向かえるっていうこの対比も素晴らしいなって思えました。だからティーダが主人公なんやぞと。この一連の流れは、これまでのやり取りの伏線回収も兼ねていて本当凄いなと思いました。
アーロンというゲーム界ナンバーワンのイケオジ
はい、FF10を語るうえで欠かせないのがアーロンですね。このおじさんって日本のRPGの中で一番じゃないですかね?アーロンの原動力って後悔と義なんですよ。義っていうのは仁義とか忠義とかですね。亡きジェクトやブラスカとの約束で、死後も何年も生きてユウナとティーダを導くっていう鋼の意志をもったキャラクターです。
ゲーム的にも攻撃力が高くて重宝しましたし(そのせいでキマリ使わなくなったしw)なによりも、すべてを知っていてあえて言わない、でも本当に大事なことはちゃんと言葉にするというアツさを秘めているという、エモさ爆発のキャラです。「ジェクトはお前のことを愛していた。」とかもね、普段寡黙なだけに、凄い説得力というか重みがあるんですよ。
しかも過去にブラスカとジェクトの選択を受け入れてしまったという後悔ですね。当時はティーダと同じ青さを持っていたにも関わらず、力及ばずで死なせてしまったという悔しさですね。いや、力が足りていたかどうかよりも、ある意味自分を無理やり納得させてしまったという意味での後悔ですね。
それが彼を突き動かして、そしてゲーム本編ではユウナとティーダを引き合わせて、あの時の約束を果たすというもう考えるだけで涙が出てきそうなカッコよいキャラクターです。我々が気軽にワキゲ剃ってるー!とか簡単にイジっていい人間ではないです。マジで。
エンディングのユウナの「ありがとう」
はい、最後はなんといってもあのエンディングですよ。あれ、泣かないひとおるん?マジで。あのシチュエーション、音楽、背景、アングル。二人の表情。エモいなんて言葉じゃ片づけられんぞマジで。
世界一ピュアなキスみたいなキャッチコピーあるけど、個人的にはあのシーンよりエンディングの方が断然ぶっ刺さりました。世界一切ないバックハグですよ。どちらかというと。。
あの時のユウナの「ありがとう」って、英語版だと「I love you」になっているっぽいんですよね。この辺りは翻訳がどうというよりかは日本語の持っている言葉の厚みでしょうね。確かにあのありがとうには、もちろんこれまでの旅の感謝とか命がけで守ってくれてありがとう、という意味はあるでしょうが、もちろん異性として好きだという気持ちはあるでしょうし、一方でもう二度と会えないという確信もあってその人に対して愛の告白をするのってちょっと違うと思うんですよね。あとはユウナの性格とか、そういうのを無邪気にぶつけない強さというか、もしかしたら前を向かなきゃって言う気持ちもあって最終的に「ありがとう」という言葉に集約されたのかなと思います。
でもそうかと思いきや最後ルカの港のところで、口笛吹いて会いたいという気持ちを伝えるっていう。。エモい。エモすぎる。。ちょっとしんどい。。
そしてその後にプレイした10-2でユウナがバリバリ踊ってて、ユリパでぱふぱふーとかやってて別の意味でしんどすぎて、ゲーム間違って買ったかな?と思ってパッケージ見直したのは内緒です。。
まあそれはさておき、導入からエンディングまで一貫して最高のゲームでしたね。あとは細かいですが、ユウナとクソセクハラ変態ストーカーことシーモアがキスするシーンは、プレイヤーの男はみんなティーダと同じ表情していたはずです。なんかそのシーンの実況プレイヤーの表情集みたいなのみたいですね。笑
まあ何はともあれ、FF10は間違いなく僕の人生の中でトップレベルの神ストーリーでした。今のRPGであれを超える感動を得られるのはなかなか難しいですが、やっぱりあの時の感動をもっと何度も味わいたいなと思ったりしています。
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