アニメ進撃の巨人最終話を見終えて、、やっぱり怪物だわ。この作品は。

アニメ

「ファイナルシーズン」「完結編」「後編」という最後の最後の最後

先日、進撃の巨人のアニメがついに最終回を迎えたということで、その感想と改めての進撃の巨人の凄さについて語りたいと思います。

みなさん、観ましたか?最終回。いっきに4話分放送みたいな感じだったんですが、なんかあんまり話題になっていないような気がしますね。ほかにも面白いアニメがたくさん出てきているからなのか、もしくはファイナルシーズン完結編の中にさらに前編と後編で分けてしまったからなのか。。個人的には後者のせいだと思っています。

前編後編合わせて10話分無かったっぽいので、どうせならいっきに放送してほかったですけどね。。まあ最後の作画はマジで魂こもりまくってたので、大人の事情とかいろいろあって間に合わなかったんでしょうね。。

いやでも時間かけただけあって本当に良かったです。あのしっちゃかめっちゃかな状態からよくあんなハッピーエンドいけたなと。まあ全然ハッピーじゃないんですけど、、全人類の8割死んでますけどねw8割って凄いですよ。ポテチ一袋買ったときに8割減されてたら、もう本当に残り少ないですからね。

エレンの行動の目的について考察。そもそも虐殺は必要だったのか?

まず、エレンは進撃の巨人の力を使って、過去も未来も見通すことができます。いや、口ぶりからしてそのまま体験することができます。無限にシミュレーションできるみたいな感じですかね。

その力が覚醒したのが、シガンシナ区を奪還して地下室の秘密を知って、そのあとヒストリアからなんかの授与式みたいなので手の甲に口づけした時、ヒストリアの王家の血と反応してエレンが覚醒しちゃったんですよね。あの時に道を見て、自分が起こす事件とその結果を見ることになったんです。

でも実際なんであんな大量虐殺をしたのかというと、エレンの目的は3つありまして

・調査兵団のみんなができる限り長生きしてほしい(幸せになってほしい)

・エルディア人から巨人の能力を取り除きたい

これらを満たすためには8割殺すしかなかったみたいですね。細かい目的としてはいろいろあるはずなんですが、まあ反撃されないためとミカサとユミルを接触させないと巨人化の能力がなくせないっぽいんでこれらの条件をすべて満たすためには地ならしのプロセスが必要だったんだと思います。

それにしても、レストランで最後エレン達とガビの4人でケンカした時、なんとなくの流れで言いすぎちゃったみたいな感じで終わらせてましたね。そしてミカサの頭痛の原因もそれっぽいこと言ってたんですけど、結局適当やったっぽいですねw

そして頭痛の理由がユミルが頭の中を覗いていたからみたいな発言がありましたね。なるほどそういうことか、というよりかはなんでそうなる?って感じですよね。え?どういうことってなりましたよね?はい、僕もそうなりました。

なんでユミルはミカサのことを気にかけていたのか?

最終的に世界に平和をもたらしたのはミカサだと思っています。ミカサがユミルに、世の中から巨人の能力をなくしてほしいという依頼をしたんだと思います。

このお願いは、おそらくエレンやジークだと聞き入れてくれなくて、ミカサじゃないとダメだったんだと思います。あ、ちなみにミカサはエルディア人じゃないので道にたどり着けず、普通であればユミルと接触ができないないです

じゃあなんでミカサなんだというところですが、明確には言及されませんでしたね。ただ、ユミルがなんであれだけひどい仕打ちを受けながらも、律儀にエルディア王の言うことを聞いていたんだというところがまあヒントというかリンクするところですよね。その理由こそがユミルがミカサと接触したがってた理由かと思います。

で、ここからが完全に妄想で、考察の領域までいっていないんですが僕なりの考え方だと、シンプルにユミルはエルディア王のことが好きだったんでしょうね。でも全然振り向いてもらえなくて、でも好きな人から託された使命をただただ守り続けることしかできなくて、っていうどうしようもない気持ちを誰かに分かってほしかったんだと思います。

で、ミカサにもちょっと似たような境遇を感じ取ってシンパシーを感じたんではないでしょうか。簡単に言うと、究極の片思い女友達です。だからユミルはエレンのことを通じてミカサのことを知って、ちょっとおしゃべりしたいなーって思ってたんだと思います。はい、根拠はゼロです。しかも片思いくらいいくらでもあるやん、なんでその中でミカサなん?って言われるとなんにも言えないですね。。

でも、3分の1くらい正解じゃないかなって思っていて、だからこそ明確な答えを明かさないようにしたのかなって思いながら見ていました。いやでも多分こんなアホみたいな理由じゃなくてもうちょっとちゃんとした理由がある気がしてきました。。

生まれてきた意味を知るジークとアルミン

ジークを道の中で見つけて、なんかこじらせてましたよね。そもそも生き物ってのは増えるのが目的なんだから細かいこといいじゃんみたいな感じで。で、そのあとにキャッチボールするだけで楽しかったっていうシーンでちょっと泣きました。

いや、あそこまでじゃないですけど、やっぱりやさぐれちゃう時ってあるじゃないですか。所詮恋愛なんて生殖行為するためのプロセスに過ぎないだとか、受験勉強頑張ったところで何になるん?稼げばいいんでしょみたいなそういう感覚に近いんだと思います。少なくとも僕はそういうときに結構やさぐれちゃうタイプです。

こういうやさぐれた時の理屈って、一理あるんですがでも本音の本音じゃないんですよね。何かがうらやましかったり、あきらめた自分に対して言い訳するときにそういう言葉が出てきたりすると思うんですよね。まあさすがにジークが抱えている悩みのスケールはえげつないのでそんな次元で語るなよってかんじですけどねw

でも結局、キャッチボールをしていたその瞬間こそがジークが心から良かったと思える幸せということでしたね。動作としてはボールをキャッチして投げ返すだけで、本人もそう言っていたんですが、本当に心を通わせた人とコミュニケーションをとることってことですよね。アルミンもそうです。いろんな世界を見に行きたいっていたんですが、結局3人でかけっこしている時が一番幸せだったって。

このなんていうか日常に本当の幸せがじつはあったんだね、っていうベタベタな流れが本当にぐっと来ちゃいましたね。特にジークは壮絶な人生なんで、キャッチボールしたなんてささやかすぎる思い出が生まれてきた意味なんてさすがに悲しくなっちゃいましたね。。ライナーのお母さんもライナーが巨人じゃなくなったって言って良かったって言ってたんでそういうことやったんですね。

なんか物語前編通してまた語りたいと思いますが、今回は最終回を見ての感想なんでこれくらいで終わりましょうかね。諌山先生、サウナを舞台にしたギャグマンガでもよいので次回作、楽しみにしています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました